「生と死」に向き合って-看取れる地域をふたたび

1970年代、自宅での死が当たり前だった時代から、病院での死が自宅を上回り始めた時でした。祖父母と暮らしていた私自身は、祖母は病院で亡くなりましたが、祖父は自宅お風呂で亡くなり、そのまま家で看取りました。

祖母の時は4歳くらいの時でしたが、病室に沢山の親戚が集まっておばあちゃんに声をかけていた姿を覚えています。祖父の時は救急車のサイレンを近所の友達の家で聞いて駆けつけ、心臓マッサージをされている姿と、看護師さんらしき人から何か優しく声をかけてもらったのを記憶しています。

二人とも自宅で葬儀をあげ、襖で仕切られていた部屋が繋がって広くなり、祭壇が設置され、お坊さんが長いお経を唱えていました。台所では近所のおばさんが白い割烹着をきてお料理の準備などしていました。いとこなども集まって賑やかだったので、悲しみというよりは子どもながらに楽しんでもいたように思います。

棺の中の祖父をみながら、母が「ほら、触ってごらん。おじいちゃんこんなに冷たくなっちゃったよ」と泣きながらお花を棺に納めている姿や、祖父の顔を撫でている姿、線香の匂い、祖父の動かない姿、お坊さんのお経・・・思い出すたびに祖父や父、母の事を思い、その思いが年と共に変化していきます。

私にとっては、無意識の中で深く刻み込まれているのだと思います。

死は終わりではなく、残された家族や見送った方にとってはそこから始まっていく

という気持ちが強くあります。だからこそ、看護師として私たちが関わらせていただく時間、特に最後の時間というのは、「今」だけのものではなく、これから続いていくものであり、それは時間と共に深くなって影響していく出来事であるからこそ、大切に、大切にしなければいけないと思っています。

現在、病院で死を迎える人が全体の8割を占めています。様々な状況により、病院で死を迎えることが最善と思える方もいらっしゃいます。ただ、その選択をするにあたってご本人、ご家族はどれくらい考え納得しているのか、その結果に至るまでの過程、気持ちが大切だと考えています。私が病院での死に向き合っていたころは、どこで死にたいかの選択すらできないに等しい時代でした。その時経験した病院での死は儚くて、言葉もなく、ただ、今でもあの時あの方は、どんなことを思って逝かれたのかと思うと胸が詰まります。

病気と闘い、自分と戦い、精一杯生きて旅立たれる姿に、言葉にはならない重いものをいつも感じました。

人生で最後の大事な時間がこれでよいのかというジレンマを感じることが多くなり、我慢に我慢の時間を過ごす(我慢することが多い)病院での死に疑問を持つようになりました。「もっとその人らしく、希望する時間を過ごしてほしい。大変なこともあるかもしれないけれど、自宅に帰りたければその気持ちをもっと大切にしてほしい、最後のわがままと思って言ってほしい、と強く思うようになりました。

言える環境を、地域に作ろう。1970年以前のように、家で死ぬことが自然である地域作りが必要だと思いました。

これまで生きてこられた時間に思いを寄せながら、一人ひとりの人生に花を添えたい